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公民館の歴史

旧軽井沢公民館の歴史 旧軽井沢公民館は、もともと軽井沢病院として使用されていた歴史ある建物を活用しています。その歴史は、1952年にさかのぼります。この年、軽井沢町は「病院を設立してほしい」という住民の要望を受けて、まず診療所を設立することを決定しました。そして、1954年に診療所が病院へと発展し、正式に「軽井沢病院」として開院しました。この頃から、病院は軽井沢町民の健康を守るために重要な役割を果たし、周辺地域でも広く利用されるようになりました。 軽井沢病院の創立と発展 軽井沢病院が開院されたのは昭和29年(1954年)で、この時、病院には21床の病室がありました。しかし、開院から数年が経つと、患者数の増加に伴い病院は急速に手狭となり、診療所は手術ができるようになるために設備の拡充が求められました。特に手術が必要な患者を受け入れるために、近隣のマンロー病院に医師と看護師が出向くなどの対策が取られ、また入院患者は小諸や長野の病院に送らなければならない状況でした。このため、高嶺先生(当時の院長)は病院設立を熱心に町当局に訴えました。 その結果、昭和29年に病院は改築され、手術室、レントゲン室、病室などが新設され、昭和29年10月には正式に「国保町立病院」が誕生しました。この改築によって、診療所から病院へと格上げされ、患者数も急増しました。特にこの時期は結核患者が多かったことから、専用の病室が2部屋設けられ、さらにレントゲン設備や給食室も整備されました。 1961年の増築と病院の発展 昭和36年(1961年)には、軽井沢病院はさらに大きな変革を迎えました。それまでの狭い施設では需要に対応できなくなっていたため、病院診療棟が新築されることとなり、総工費624万円をかけて、病院の診療棟が新設され、従来の診療棟は病棟に改築されました。これにより、病院のベッド数は21から33に増加し、入院患者を受け入れることができるようになりました。これによって、患者の受け入れに余裕ができ、これまで断られていた入院希望者も受け入れられるようになったのです。 当時、軽井沢町はまだ交通の便が良くなかったため、盲腸手術でさえも他の町の病院へ行かなければならないことがありました。しかし、病院の設備が整い、大きな手術が軽井沢町内で行われるようになったことは、町民にとって非常に大きな安心材料となりました。また、増加した交通事故患者への対応も進み、町の医療体制は大きく向上しました。 あさま山荘事件と病院の役割 [...]

2024年9月8日|観光と歴史|

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